志免町ホームページ:トップページ
志免町ホームページ 夢と希望のある元気な町、志免町へようこそ
行政情報暮らしの情報健康と医療福祉と介護子育てと教育生涯学習と国際交流公共施設行事とイベント
生涯学習課 最終更新日:2002年01月24日/記事閲覧カウント:53100
トップページ > 生涯学習と国際交流 > 生涯学習 > 志免鉱業所
前のページへ戻る

志免鉱業所


  

石炭は、明治時代から昭和30年代まで日本の代表的なエネルギーでした。炭坑は、北部九州や北海道にありましたが、糟屋地方にも粕屋炭田がありました。
主要な炭鉱は、海軍炭鉱(宇美町・須恵村・志免村・仲原村)、高田炭鉱(勢門村・久原村)、粕屋炭鉱(宇美町・須恵村・志免村)、 久原炭鉱(久原村)、亀山炭鉱(志免村)、勝田炭鉱(宇美町)、大谷炭鉱(宇美町)、篠栗炭鉱(勢門村・篠栗村)、宇美炭鉱 (宇美町)などでした。
その中でも、明治22年に須惠村で創業した海軍採炭所が発展し、明治39年に志免町で採掘が始まった志免鉱業所がありました。戦後、国鉄志免鉱業所として閉山の昭和39年まで、一貫して国営でした。
昭和3年の出炭量は三井三池炭鉱が2,159,087トン(1位)、三井田川炭鉱の出炭量が1,019,985(4位)トンであったのに対 し、海軍炭鉱は384,935トン(19位)と上位に入ってました。






志免町には、昭和60年まで石炭輸送のために作られた鉄道がありました。
石炭景気の需要による香椎線の引き込み線と、勝田線の開通です。
香椎線は、明治42年から開通した博多湾鉄道旅石線(後に博多湾鉄道汽船から西日本鉄道、日本国有鉄道へ変わった香椎線引き込み線・昭和59年12月31日廃線)のことです。
勝田線は、大正8年に開通した筑前参宮鉄道(後に西日本鉄道から日本国有鉄道へ変わった勝田線・昭和60年3月31日廃線)のことです。当時の一日乗客数は300名、石炭は750トンと、石炭輸送が主だったようです。
現在、勝田線は緑道として公園整備され、志免駅は志免鉄道公園となり、レリーフが当時を偲ばせています。
志免町所有。






竪坑は、石炭の出る地層まで縦に掘った穴のことで、竪坑櫓は、昇降する機械を取りつけたタワーのことです。
竪坑櫓の規模は、地上47.65メートル(基準点からは53.65m)、鉄筋コンクリート造のワイディングタワー形です。
昭和18年に櫓が完成し、塔内には1,000馬力のケーペ巻上機が備わり、地下430メートルまで鉱夫や石炭、資材の搬出入をしていました。
この時代の同タイプのものは、日本で志免町だけですし、世界でもベルギーブレニー炭鉱・中国撫順龍鳳採炭所にしか所在が確認されていません。
平成21年12月8日に国の重要文化財に指定されました。
志免町所有。






斜坑も石炭を採掘するための施設ですが、竪坑がエレベータ方式ならば斜坑はエスカレータ方式といえるでしょう。
竪坑櫓北側に、鉱滓煉瓦巻の第八坑連卸坑口と、第八坑本卸坑口の閉塞部分、第五坑西側坑口が現存しています。第八坑の坑道は昭和13年におおかたの施設が完成し、地下で竪坑と繋がっています。
志免町所有。






ぼた山は、石炭を掘り上げた時に出た土(ぼた)を積み上げたものです。
現在、西原硬山が4つの峰を残し現存しており、自然史的にも貴重な山となっています。竪坑櫓・斜坑口とぼた山がセットで残っているのも日本で志免町だけです。
志免・須恵・粕屋の三町で所有。






収蔵庫の中には、志免鉱業所跡地にあった第八坑扇風機坑口で使用した長さが3.3mもある大きなプロペラが収められています。
このプロペラは、坑内の排気用として使用されており、海軍の水上偵察機のプロペラを転用したものです。
そのほか、志免鉱業所跡地発掘調査で出土した近代の遺物も展示しております。


*** 生涯学習課へのお問い合わせ先 ***
電話:092-935-7100 FAX:092-935-7141
Mail:syogai@town.shime.lg.jp

このページへのリンク用URL:http://www.town.shime.lg.jp/shimehome.nsf/doc3/kougyousho

前のページへ戻る
トップページ | 行政情報 | 暮しの情報 | 健康と医療 | 福祉と介護 | 子育てと教育 | 生涯学習と国際交流 | 公共施設 | 行事とイベント
当サイトへのリンクについて

〒811-2292 福岡県糟屋郡志免町志免中央1丁目1番1号 電話 092-935-1001(代表) FAX 092-935-9459